シルクロード旅日記 ㊵旅の終わりはイスラマバード

飛行機でイスラマバードに到着。外はすごい湿気だった。

イスラマバードは野生公園の中に建物がポツポツあるかんじ。パキスタンの首都だからもっと都会だと思っていたんだけど、そうでもなかった。

でも街なかで女性を見かけるのが、ギルギットとは大きく違っていた。

帰国チケット購入

誠実そうに見せかけつつ遠回りをしようとするタクシー運転手にムカつきながらも、アンバサダーホテルにチェックインした。

体調は最悪で、この日は一日中トイレから離れられなかった。

でもホテルのスタッフが買ってきてくれた抗生物質を飲むと、すこしずつ回復していった。バナナも差し入れしてくれてありがたかった。

今回の旅は、特に最終地点は決めていなかった。

パキスタンのあと別の国に行ってもいいかな~なんて、途中までは思っていた。

大体2か月の予定だったのであと10日ほど余裕はあるけど、荷物がなくなったショックで戦意喪失してしまった。もう今は家に帰りたくて仕方ない。

翌日、旅行会社で帰国便のチケットを手に入れた。2日後のフライト、上々だ。

そのあと土産物を買いにいくが、イスラマバードの蒸し風呂のような暑さと湿気ですぐに気分が悪くなってしまった。

タクシーでイスラマバードめぐり

夕方、ホテルで久しぶりにお腹がすいたなぁと思えた。

早速ルームサービスでサンドイッチとスープを注文。食欲が出てきたのはいいことだ。

翌日はイスラマバード最終日。

午後に、これまでちょくちょく旅行ルート上で出会ってきたO君と再会。一緒にタクシーチャーターして観光した。

といっても、そんなに目玉スポットはないようで、ファイサルモスクというイスラマバード一大きいモスクへ行ってみた。

とても近代的で巨大な建物で、まるで宇宙基地みたいだった。

それからカーペット屋さんへ。

飛行機で預けるべき大きな荷物がなくなってしまったから、ヤケクソで大物のカーペットをお土産に買おうと思いついたのだ。

ジュースをごちそうになりながら、店の人がバタン、バタンと次々にカーペットを広げてみせてくれる。

「これ、片付けるの大変そうだなぁ」と申し訳ない気持ちになるけど、それが戦略なのだろう。

何枚も広げてくれたカーペットは、フンザで見たようなエキゾチックな模様ではなく、ひし形の無機質なパターンであまり魅力的じゃなかった。

そんな中、壁にかかっていたアフガニスタンのカーペットが気に入ってしまった。ベースは紺色で、赤や茶色で花や鳥のような模様がついている。ナウシカに出てきそうなデザインだ。

375ドルと言われたけど、1万ルピー(2万円)なら出せると返事すると、1万千ルピーで落ち着いた。

ペタペタとたたんで紐でしばると、小包のような大きさになってしまった。

パキスタン旅行の記念のはずが、なぜかアフガン産になってしまったけど、まぁいいか。

土産物屋めぐりの合間、O君とお互いの旅の満足ぶりを話しあった。

彼は「今、働きたくてうずうずしているよ」と言っていた。私も同感。

この旅で得たパワーをもとに、これからの日常生活を丁寧に一生懸命やっていきたいなと思った。

3年も4年も旅をし続けるなんて、私にはできないなぁ、きっと。

旅の終わり

帰りの飛行機は、イスラマバードから香港へ、さらに我が家のあるオーストラリアまで。

新興開発都市イスラマバード(左半分)と、昔ながらのラーワルピンディ(右半分)

香港でカンタス航空に乗り込んでまず目についたのは、オージー女性のタンクトップからはみだしているおなかのお肉。

それを見て、イスラム圏の旅から現実の世界に戻ってきたことを実感したのだった。 (その露出はありえない!)

オーストラリアのイミグレーションでは、パキスタンの民族衣装を着る怪しげな日本人をすんなり通してくれるわけもなく、係員二人がかりで質問されてしまった。

それでもなんとか無事に夫と再会。なつかしの我が家に帰りつくことができた。

これで50日間のシルクロードの旅は終了。

この旅では、たくさんの人たちからとびっきりの優しさを与えてもらった。

私も何かを与えられる人にならないと。

出会ったすべての人と夫に、心の底から感謝!

「完」

~長い旅行記を読んでいただきありがとうございました~

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