ずいぶん前の話ですが、2005年夏に中国の蘭州からパキスタンまで、国境を越える旅をしました。
シルクロードを辿る、陸路でのひとり旅。かかった期間は50日間。
最後に荷物をそっくり盗まれてしまったので(涙)、写真がほとんどありません。
道中笑いあり涙ありだったので、写真がない分ちゃんと記録に残しておきたい!ということで、当時の旅日記です。
読んでいただければ幸いです。
注)写真は再利用可能なオンライン素材から雰囲気が近いものをお借りしました。
Contents
ルート
蘭州~夏河~嘉峪関~敦煌~トルファン~クチャ~カシュガル~カラクリ湖~タシュクルガン~クンジュラブ峠~カリマバード(フンザ)~ギルギット~イスラマバード
“Pakistan China Locator” by Bazonka is licensed under CC BY-SA 3.0
出発
2005年6月2日。とうとうこの日がやってきた。
ずっと憧れていたシルクロード、クンジュラブ峠越え。
仕事の契約が終了したのをいいことに、次の就職活動をするのを先延ばしにして旅に出ることに決めたのだ。
このルートを一通り見てまわろうと思ったらどうしてもひと月以上はかかるから、このチャンス逃してなるものかーとスッポンのように執念深く、色んなことをそっちのけで旅の計画を実現にもってきてしまった。
心優しい夫はお留守番。
夫は大学時代すでにこのルートを旅しているので、まぁいいのだ。
感謝感謝!ということで、少々後ろ髪ひかれつつも最寄りの空港へと向かった。
ここからマレーシア航空で中国・広州へ行くのだが、まず今晩は乗り継ぎのため、クアラルンプールで宿泊。
Photo by Craig
空港に降り立つと東南アジア独特のムワッとした空気を感じ、とうとう出てきちゃったよーと実感する。
航空会社が用意したホテルへの送迎バスを探すのに一苦労。初めての本格ひとり旅。自分でも予想外に緊張して、顔がひきつっていた。
ホテルへ向かうとき、同じようにひとりでいる女の子としゃべる。彼女はカンボジア出身でこれから親戚に会いにいくそう。彼女の方がもっとナーバスになっていて、私の方はちょっと余裕が出てきた。
でも夜、なかなか寝付けず、私って意外と繊細なんだなぁと自分で驚いた。
クアラルンプールから広州へ
朝5時、モスクから響くアザーンの音で目が覚める。
睡眠不足のまま、クアラルンプール空港へ向かい、そこから広州まで4時間のフライト。
広州の新白雲空港は真新しく巨大で、中国経済の元気の良さが感じられる。
“Guangzhou Baiyun Airport 2” by Chinatravelsavvy is licensed under CC-BY SA 3.0
市街へはこれまたきれいなリムジンバスで。
“Airport Express Bus” by ChinaTravelSavvy.Com is licensed under CC-BY SA 3.0
途中でスコールに会い、タイヤの半分ぐらいまで水浸しになった道路を走った。今日だけ特別?それとも毎日こんなすごい雨が降るんだろうか。
駅前に着き、ユースホステルの場所を探してウロウロしていると、感じの悪いホテルの客引きに呼び止められた。
ちょっと身構えたけど、ユースの場所を尋ねるとしぶしぶながら教えてくれた。なーんだ、そんなに悪い人じゃなかったな、とちょっと嬉しくなる。
チェックインをすませ荷物を置いて外へでかけてみる。駅前の広場はすごく広くて、人、人、人。さすがは中国だ。
グレーの空に、グレーの頑丈そうな駅舎。駅の上にかかった「広州」という大きな文字。中国に来たなぁと実感。
“Guangzhou Railway Station” by Huangdan2060 is licensed under CC-A 3.0
銀行でT/Cを両替したあと、簡単な食堂で夕飯を食べる。入り口で食券を買うシステム。ああ、そうだ、そうだった。と6年前に来たときを思い出した。
ひとりで食べるごはんはやっぱりちょっと寂しい。人目も気になって、とにかく黙々と食べた。でも揚げ茄子のピリ辛炒めがすごーくおいしくて、今度家でつくってみようと思った。まだ旅を楽しむ気持ちは控えめだ。
一日の疲れで9時すぎにはベッドに入った。
広州から蘭州へ
次の日、広州から飛行機に乗り、甘粛省の州都、蘭州へと向かう。
シルクロードの玄関口といえば西安が有名だけど、今回は時間の都合で省略。
蘭州は西安の西600キロのにある大都会で、人口300万人。街の中心にかの有名な黄河が流れている。
飛行機が蘭州に近づくにつれ、まるで地理の模型のような茶一色の山並みが広がり、所々ポプラ並木が見えてきたなと思ったら着陸した。
いよいよシルクロードにやってきたと気持ちが高まる。
シャトルバスで街の中心まで行ったはいいけど、ここからが大変だった。
~つづく~